声よりも文章の方が伝達手段として優秀なのではないか?という仮説

こんにちは!「五月病?何それ?食えるの?」と普通に言ってしまう男、M-Jadeです!

んじゃ、まずはこの記事の紹介から…

 「学生が電話に出てくれない」――。3月1日に解禁となった2018年卒の採用活動。浪人や留年などの寄り道なしで卒業予定であれば、1995~96年生まれの大学生たちは、生まれたときからの携帯電話世代だ。彼らの通信手段は「LINE」「ツイッター」がほとんど。就&

今年の3月に出た記事ですね。「働き方改革」が進む中でこんな記事が出ちゃったもんですから、そりゃまぁ、色んな人達がこの記事に反応していたわけですが、まぁそれはさておいて。

この記事で言いたいことをざっくりと書くと

今の学生全然電話使わねえ…

という人事の人達の嘆きですね

この記事のオチでは「いい機会だし電話使うようにしたらいいんでない?」みたいなニュアンスで書かれていますが…ん?ちょっと待てよと

そもそもの理由を探してみようじゃあないかね

今の学生にとって「コミュニケーションツール」ってのは9割方LINEとかTwitterみたいなSNSで、そこに文章を書いて相手に送るのが完全に主流になっちゃってる訳です。情報技術に詳しい人だろうと詳しくない人だろうとみーんな使ってるんですね。

電話に関しちゃ、なんと約1%!もうほとんど誰も使ってないようなもんじゃないですか。

なんでそうなったんでしょうかねえ。単純にSNSが流行っているから?いやそもそも流行ったのはなんでだ?何かしら理由があるはずだ。うーん…

そう考えてるうちに、ある一つの可能性にぶち当たりました。

声よりも文章の方が合理的な意思の伝達手段である

「ただしいコミュニケーションのとりかた」みたいな概念を根底から揺るがしかねない説ですね。

「おま、相手の目を見てはきはきと喋ってる奴より、スマホの画面じーっと見て文章打ってる奴のが人として理にかなってるってーのかよ!?」

そう思ってしまう人も、もちろんいるでしょう。安心してください。これから理由をしっかりと述べていきますよ。

声は他の音にかき消されてしまうことがあるが、文章ではそのようなことがない

地下駅とかの人がたくさん居るところで、自分の声が他の音にかき消されてしまい、相手に上手く伝わらなかった経験、ありませんか?田舎に住んでる人でも、虫や動物の鳴き声にかき消されてしまったとか、そういうことがあるはずです。

一方、文章では、そんなことは起こりません。周囲がどんだけうるさかろうが、しっかりと目で認識することができます。

時間の同期性の違い

声による伝達の場合、一番快適に伝達できるパターンは、

「自分と相手が同じ場所で向き合って話をする」

というものですね。この状況を作るための条件として、自分と相手の時間を同期させる必要があるとも取れます。録音して、後で聞く形式なら同期させる必要はありませんが、基本的には一方的な連絡しかできませんね。

一方、文章は「時間を同期させる必要性」に駆られることはありません。非同期性があるってことですね。さらに、一方的な連絡ということにもならないです。しようと思えばすぐに返事ができますし、後回しにすることもできます。

声よりも文章の方が認識するまでにかかる時間が短い

声の場合だと、相手が言葉をすべて発音するまでの時間+こちらが言葉を認識するまでの時間が最低限必要となりますが、文章の場合は声で言うところの前半部分を大幅にショートカットすることができます。つまり、こちらが文章を認識するまでの時間しかかからないということですね。

単純な話、長い話を聞くのと、長い文章を読むの、どちらの方が短い時間で理解できるかといったら、後者ですよね。

声よりも文章の方が認識しやすい

うっかり相手の声を聞き逃してしまう確率と、うっかり文章を読み飛ばしてしまう確率。果たして、どちらの方が高いのでしょうかねえ。しっかりと統計を取ったことがないので、ほんとのところは分からないのですが、恐らく前者の方が高いと思われます。

何故か?それは、文章は読み飛ばしに気付いた際に、容易に読み返すことができるから。声の場合だと、相手にもう一回聞き返したり、録音しといて後からチェックしたり…みたいな手間がかかりますね。

フォーマットが統一されている

声の場合だと、人によって滑舌の良し悪しに差があったり、話をするスピードに差があったり、イントネーションが異なったりしますよね。そういったことが理由で「えっと、今なんて言った?」ってなることも、そんなに珍しい話じゃありません。

一方、文章ではそういうことがあんまり起こりません。一応、手書きの文章とかだと「字が汚くて読めねぇ…」みたいなことがありますが、最近は情報機器を使って文章書くのが主流なので、そういったこととも無縁になっていると言えるでしょう。

若者はより合理的な方を選んだ。ただ、それだけの話

いかかでしたでしょうか。納得いく人もいたでしょうし、納得いかない人もいるでしょう。

このことから推測できるのは、日本人にも段々と「合理主義」的な概念が侵攻してきている。ということでしょうね。

ちなみに、私は合理主義大歓迎の人です。だって、分かりやすいし、ねぇ。

上の世代の人達には、そういった価値観の変化を鋭敏に感じ取る。そんな能力が求められているのかもしれません。

スポンサーリンク
レクタングル(大)広告1
レクタングル(大)広告1

シェアする

フォローする